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甲子園の歴史

現在ではあまりにも有名ですがもともと地名としてあったものではなく、甲子園球場が建設された大正13年に命名されました。この大正13年という年は、奇しくも、十干と十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が出合う60年に1度の年であったため、縁起のよいこの年にちなんで「甲子園球場(当時は甲子園大運動場)」と名付けられたのです。

現在、甲子園球場が建っている場所はもともと川原だったところに、大正11年、2つの川を埋め立てて巨大な球場の建設を決定したのでした。当時、阪神電鉄の社員だった野田誠三技師(後に阪神電鉄社長)が、ニューヨーク・ジャイアンツの本拠地であったポログラウンドの図面を頼りに設計した日本初の本格的野球場は、大正13311日に着工され、わずか4ヶ月半の後、同年81日に完成しました。総面積約33,000㎡の敷地に内野を囲んで建てられた、鉄筋コンクリート造りの50段の観覧席は、全て大きな鉄の屋根「鉄傘(てっさん)」で覆われ、現在のアルプススタンド、外野スタンド部分には、土盛りの上に20段の木造スタンドが造られました。

こうして最大で8万人もの観客を収容したという、東洋一の大球場「甲子園大運動場」が出現したそうです。

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